2008年3月号 【46】 |
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香港島の小高い場所からビクトリア湾を眺めると、南シナ海へと続く湾の入り口が自分の立っている場所より高い位置にあるように見える。もちろん目の錯覚なのだろうが、彼方に広がる風景がまるで中空に浮かんでいるかのように映るのだ。
親しくしていただいていた作家の方が去年突然他界された。自分より少し年長であったが、まだまだこれから素晴らしい作品をいくらでも執筆することができたはずで、とても残念でならない。
先日偲ぶ会が開かれたが、何の前兆もない思いがけない死だったため、参会した人たちも口々にこれから読むことができたであろう未成の作品について語った。過去より未来について熱く語られた不思議な会でもあった。
冒頭の香港の風景は、その作家の方の作品集をつくったときカバーに用いたものだった。架空の空間でありながらその描写は精緻を極め、ありえない展開でありながらも登場人物の行動に妙な肩入れをしてしまう。作家の描く世界はいつも仮想の場所に存在していたが、僕はそれに強烈なリアリティを覚えていて、ときには自分のいる場所さえ危ういものにする不思議な力を感じていた。収録作品のひとつに香港を舞台にしたものがあったということもあるが、その風景をカバーに使用したのは、自分なりの作家の作品に対する考え方をヴィジュアルとして表現したかったからである。
小説は虚構を描くものである。これは明々白々の事実なのだが、ときに僕たちはその中に鮮烈な真実を見出す。そして心に強くやきついたそれは、自らの生き方や存在をも激しく揺さぶる。対岸の空中楼閣は実は自分の足元を揺るがす存在なのである。
「飢えて死ぬ子の前で文学は有効か」と問いかけた哲学者がいたが、確かに死に直面する子供たちの前で小説は非力かもしれない。しかし彼らのことを考えさせる真実を対岸の虚構から引き出すことはできる。
作家の方とはタフな恋愛小説を書いていただくという約束をしていたが、いまとなってはそれを読むこともかなわない。香港を舞台にした小説というのは「一九七二年のレイニー・ラウ」という小説だが、あらためてその作品が収録された作品集のカバーを眺めていて、僕はまたもその風景からいいようもない強い磁力を感じていた。
( I )
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